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東京高等裁判所 昭和41年(う)984号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

〈前略〉

一、坂本、井上両弁護人の控訴趣意第一の論旨について。

記録を精査、検討しても、原判決が、所論のように被告人及び弁護人において詳細に立証した事実と憲法上、法律上の当然の論理とを無視した不法のものであるとは認めがたいのはもちろん、原審が、所論のように検察官の不正な権力の行使を支持し、言論表現の自由を侵害する道を選んだなどという事跡はいささかも存在しない。論旨は採用できない。

二、同弁護人らの控訴趣意第二の論旨について。

所論は、原判決には、判決に理由を附せず、又は理由にくいちがいがあると主張する。しかしながら、その具体的内容は要するに、原判決が(被告人及び弁護人の主張に対する判断)の項において説示した部分をとらえ、同判決は、被告人及び弁護人の刑事訴訟法第三三五条二項にいわゆる法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実上の主張に対する判断を遺脱し或は誤つているというに帰するものと解されるのであるが、被告人及び弁護人の多岐にわたる主張について原判決の説示したところをみるのに、何ら所論のような判断を遺脱したものないし誤つたものはなく、又その説示の過程には、特に論理上、経験上の法則に反する不合理、不自然なものはない。論旨はすべて理由がない。

三、同弁護人らの控訴趣意第三の一乃至四の各論旨について。

所論は要するに、原判決は憲法第二一条の解釈を誤り、又軽犯罪法第一条第三三号前段、第四条、刑法第三五条の解釈、適用を誤つており、更に違法性阻却事由の存否の判断につき著しい事実誤認を犯しており、その結果被告人両名を有罪としたものであつて、破棄を免れないと主張する。

(一)  およそ、憲法第二一条が国民に保障する言論表現の自由といえども絶対無限のものではなく、公共の福祉のため必要ある場合には、その時、場所、手段等につき必要かつ合理的な制限のおのずから存することは、幾多の最高裁判例の示すとおりである(特に昭和三二年三月一三日最高裁大法廷判決、刑事判例集一一巻三号九九七頁、昭和三九年一一月一八日最高裁大法廷判決、刑事判例集一八巻九号五六一頁等参照)。けだし、言論表現の自由は内心の自由とは異り、本質的に対外的なものであり、その表現の手段が外部的行動を伴うことにより、他人の権利、法益との衝突を避けがたいのであるから、このような場合、その間に合理的調整を図る必要があるのは当然であり、その調整原理がいわゆる公共の福祉に外ならないのであつて、憲法自体もその原理の必要性はこれを予定しているのである。従つて、外部的行動によりその言論を表現しようとする者は、右公共の福祉に反しない限度において、これを表現し得るにすぎないのであつて、何ら他人の権利、法益との衝突を意に介せず、その時、場所、手段等を選ばず、自己の意思の赴くままにこれを表現し得るというものではなく、その時、場所、手段等について、公共の福祉保持のため或る程度の制約を受けなければならないことは必然的というべく、このような制約を受けるからといつて、憲法第二一条に違反するということはできない。以上の観点に立ち、軽犯罪法第一条第三三号前段の規定(以下、本件規定という。)を考察するのに、本件規定は、言論を表現しようとする者に対し、ある場合には公共の福祉保持のため、表現の手段としての外部的行動を制約することとなるのであるが、(軽犯罪法の立法の趣旨が窮極において、公共の福祉を保持しようとするにあること及び本件規定もその例外ではないことは、後に言及するとおりである。)本件のような言論表現の手段としてのビラの「貼布」行為と他人の権利、法益とが衝突する場合の調整の仕組みとして決して不合理なものとは解し得られず、しかも同法第四条において、適用上の注意を明示している点に徴すれば、前記のような憲法第二一条の有する理念に反するとは認めがたい。してみれば、被告人らの行為が本件規定に違反すると認められる以上は、有罪とされたことをもつて、所論のように憲法第二一条の解釈を誤つた違法があるとはいえないことは明白である(なお昭和四三年一二月一八日最高裁大法廷判決、昭和四一年(あ)第五三六号参照)。

(二)  そもそも軽犯罪法がその取締対象としている行為は、刑法等の刑罰法規に違反する行為ではなく、日常の社会生活におけるいわば最低限度の道徳律に違反するもの、即ち社会倫理的にみて軽度の非難に値いし、その法益侵害による違法性の程度の軽微なものを取上げ、これらの行為に対して軽微な制裁を科することにより社会の秩序を維持しようとするものであつて(第二回国会における政府の同法の提案理由中にも、「日常生活における卑近な道徳律に違反する軽い罪を拾うことを主眼として」といつている。)、特に近代的な都市生活は、必然的に右のような社会道徳律を維持するための制裁法規を必要とするのであり、畢竟公共の福祉の保持を目的とするものというべく、本件規定もまた、以上の観点からこれを理解しなければならない。ところで、本件規定にいわゆる「みだりに」他人の工作物にはり札をするとは、他人の所有ないし管理する工作物にその他人の許諾を得ることなく、且つ社会通念上是認されるような理由もなくして貼り札をすることと解するのを相当とする(昭和四〇年一二月二二日当裁判所判決、下級裁判所刑事判例集七巻一二号一三頁参照)ところ、このような貼り札行為(以下便宜、ビラ貼り行為という。)により、その貼られた工作物の所有者ないし管理者は、それだけでも、自己の財産権を公共の福祉に反しない限り自由な態様で支配、維持できる憲法上の自由をそれ相当に侵害されることとなるというべく、又仮りに、その工作物に毀損等の損害を蒙らなかつたとしても、少くとも、該工作物についてそれ相当の迷惑を蒙つたとか或はそれ相当の汚損を受けたとか感ずることは当然であるというべく、なお客観的にも同工作物を汚損することは通例であるというべきであるから、その所有権ないし管理権に対するそれ相当の財産的損害を受ける結果となるといわなければならない。従つて、かようなビラ貼り行為自体は、他人の法益に対する侵害行為としては、その違法性は最低限度の道徳律に違反する程度の軽微なものであることは確かであるとしても、具体的の場合に、本件規定違反の罪の成立を肯認させるに足りる違法性があるか否かを考察するためには、そもそも本件規定自体が軽微な違法性をこそ予想しているものであることを看過してはならない。

ところで本件の場合、原判決の挙示した証拠を総合すれば、被告人両名は共謀のうえ、原判示の日時場所において、日本電信電話公社(以下、電々公社という)所有の電話柱一本に電々公社ないしその直接の管理者である九段電話局長の許諾を受けないで、「地域から一万二千円以下の賃金をなくせ!日本共産党榊原光治、中西三洋」と印刷したビラ及び「教育の軍国主義化反対、高校全入を実現せよ!日本共産党榊原光治、中西三洋」とした印刷したビラ各一枚を貼つた事実が認められる。そして、被告人らが右ビラ貼り行為について電々公社及び所轄電話局長の許諾を受けなかつたことは、論旨自体もこれを争つていないのであるから、本件ビラ貼り行為が本件規定に違反するか否かを判断するためには、同規定の前記のような解釈に照らせば、該行為が社会通念上是認されるような理由があるか否かが検討されなければならない。この点については、当時の電々公社東京電気通信局営業部公衆課長岩瀬好三は原審公判廷において、電々公社は財団法人電気通信共済会との間に、電話柱の広告業務を委託し、業務に基いた広告以外の一切のビラ貼りについては、公社として迷惑するという方針が一貫して打ち出されており、このようなものを貼ることを禁じているが、実際には、公社で許可を与えていない広告等が無数に貼られており、迷惑する、美観を損すると思つている旨を証言しており、このような証言部分と、記録中の写真によつて認められる本件ビラ二枚が電話柱に貼られている態様とを合わせ考察すれば、本件ビラ貼り行為により、該電話柱の所有者である電々公社及びその直接の管理者である所轄電話局長として、迷惑を蒙つたと感じ、又汚損されたと感じていることは明白であるばかりでなく、客観的にも同電話柱が汚損されていることが認められ、これらの事情を勘案すれば、被告人らが本件ビラを貼ることにより言論を表現しようとした動機、目的及び同ビラの記載内容等には特段の違法視すべきものはないとしても、その表現の手段としての外部的行動である貼布行為には、未だ法感情上いわゆる相当性、補充性は認めがたいというべく、してみれば、被告人らのビラ貼り行為は社会通念上是認されるような理由のある行為とは認めるに由なく、本件規定にいわゆる「みだりに」はり札をした行為に該当するものと認めざるを得ない。

論旨は、本件ビラの貼られたのは電話柱、しかも一本であり、ビラの数も二枚のみであるから、仮りにそのビラ貼り行為により法益侵害があるとしても、個人の家屋等の場合に比してその法益侵害による違法性の程度ははるかに小さく、とうてい問題となり得ないものである点に徴すれば、その電話柱としての機能を害されない限り、該電話柱の所有者ないし管理者は言論表現の自由の前に右ビラ貼りを受忍すべき制約を受けるものであると主張し、縷々理由を述べる。しかしながら、自己の家屋、その他の工作物にビラを貼られた他人が、そのビラ貼り行為によりその工作物に毀損等の損害を蒙らなかつれとしても、それ相当の迷惑を蒙つたとか或はその相当の汚損を受けたとか感ずることは、その他人が個人であろうと公共企業体であろうとその理を異にすべき合理的根拠はない。従つて、本件電話柱等、公共の工作物も本件規定による権利保護の対象になるものというべく、個人の物でないからといつて、侵害の対象にならないとはいえない。又前記のような軽犯罪法の法意及び取締対象である行為一般並びに本件規定の予想している軽微な違法性等に照らせば、所論のように電話柱なるが故に、その機能上の損害のない限り、ビラ貼り行為が許されるという合理的根拠のないこと及び該電話柱の所有者ないし管理者においてこのようなビラ貼り行為を受忍すべき制約を受けるものであるという法律的根拠のないことも明らかである。のみならず、もし論旨のいうように、電話柱、しかも一本なるが故に、又ビラの枚数が僅々二枚であるが故に、法益侵害による違法性が阻却されるというのであるならば、数百、数千人の一人、一人が被告人らと必ずしも意思を通ぜずして同一の行為をなした場合においても、はたして論旨は、その一人、一人の行為について違法性阻却を主張するのであろうか。このような場合においては、電話柱が立ち並んでいる都市の現状に照らせば、ひいて街の美観を害するという事態を生ずることは必定というべく(この意味において、本件規定の保護法益の一つとして街の美観というものも考慮されるべきである。)、このように考察すれば、右の論旨が採用しがたいことは明らかである。はたしてしからば、本件ビラ貼り行為に対し本件規定を適用した原判決には、何ら所論のような法令の解釈、適用を誤つた違法はない。

(三)  およそ、社会通念上「正当」と認められる行為、即ちいわゆる正当行為は、刑法第三五条の拡張解釈によるものと解すべきか或は所論のように超法規的違法性阻却事由と解すべきかはともかくとして、同条によつて違法性のないものとして処罰すべきでないことは当然である。しかしながら、本件ビラ貼り行為は前記(二)において詳細に説示したとおり、電話柱の所有権ないし管理権を侵害し、且つ社会通念上是認されるような理由のないものであり、又労働組合法第一条第二項所定の労働運動とも認められないから、刑法第三五条を適用すべき正当行為の観念をいれる余地は全くなく、従つて、所論のように社会的に相当な行為があるとはとうてい認めがたい。又記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌、考量しても、所論のように本件の検挙及び起訴及び起訴が軽犯罪法違反を口実に言論表現の自由を弾圧することを企図したものであるとは認めるに由なく、その他、原判決が本件ビラ貼り行為につき本件規定を適用するにあたり、同法第四条の解釈を誤り、被告人らの権利を不当に侵害したとか、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用したなどという事跡はいささかも存在しない。現に、当審において検察官から提出された九〇余通にのぼる多数の略式命令及び判決各謄本に記載された公訴事実によつて認められるとおり、電話柱又は電柱に対する多様各様のビラ貼り行為が本件規定によつて処罰されている事実、しかもその被処罰者の中には、被告人らと全く正反対の思想的立場にある政党又は団体の所属員も包含されている事実等に徴すれば、ビラ貼り行為に対する検挙、起訴、処罰が必ずしも被告人らに対してのみ行なわれたものではなく、従つて、本件検挙、起訴、処罰が、所論のような一定の思想的立場にある政党又は団体ないしは個人に対する弾圧を目的としてなされたものではないことは極めて明白であるといわなければならない。本件を検挙した警察官である川島栄も原審公判廷において、ビラ貼りについては上司から、現行犯のみを取締まれと命ぜられており、非現行犯まで取締まるようには命ぜられていない、人員の制限もあるので、非現行犯まで取締まるわけにはいかないと思う旨証言しているのであつて、この証言もまた、本件検挙が所論のような弾圧を目的としたものではないことを雄弁に物語つているといわなければならない。論旨は、本件ビラ貼り行為に対する違法性阻却事由として種々の論拠を挙げる。なるほど、軽犯罪法制定の際、政府代表が、同法は労働運動等の大衆運動には適用しないと説明していることは、国会における司法委員会議録によつて認められるところではあるが、本件検挙及び労働運動等の大衆運動を弾圧することを企図したものとは証拠上認めがたいことは既に触れたとおりであり、又電話柱ないし電柱に対する許諾なきビラ貼り行為が長年にわたつて行なわれてきたことは所論指摘のとおり認められるけれども、そうであるからといつて、それが所論のように社会慣行として権利を形成したものとは認めがたいことは、原判決の説示したとおりである。そして、当審において被告人側から提出された一、〇〇〇枚余にのぼる写真によつてうかがわれるところの、種々雑多のビラが許諾なくして電話柱ないし電柱に貼られている事実をもつてしても、右の結論に消長を及ぼすものではない。更に、ビラ貼り行為に対し従前電々公社の告訴のなかつたことも、前記岩瀬好三の証言によつて認められるところではあるけれども、その故をもつて電々公社が権利、法益を侵害されてはいないといい得ないばかりでなく、幾多の検挙、起訴が行なわれていることは、前記略式命令謄本等によつても十分窺知し得るところである。なお又、いわゆるマス・コミ機関が本件ビラの記載内容に類する思想、言論を排除しているとの論旨については、これにそうような原審証人隅井孝雄の証言内容には、的確な資料に基づかない推測ないし伝聞にわたる部分が多いのみならず、同証言をもつてしてもこれを認めるに十分でなく、従つて、所論のように右の思想、言論の発表にあたつては、マス・コミ以外の方法、特に電話柱ないし電柱に対するビラ貼りのような方法によらざるを得ないとはとうていいえない。これを要するに、原判決が本件ビラ貼り行為につき違法性阻却事由なしと判断したことは相当であつて、同判決が右判断に至る思考経過として説示したところには、何ら所論指摘のような法令の解釈、適用の誤りのないのはもちろん、事実誤認を疑うべきものは存しない。論旨はすべて理由がない。

四、同弁護人らの控訴趣意第三の五の論旨について。

所論は、原判決には、不法に公訴を受理した違法がある。即ち本件起訴は、軽犯罪法第四条に違背して、法の下の平等に反し、特定の思想を弾圧するために行なわれたものであるから、右公訴は刑事訴訟法第一条及び同法第三三八条により棄却されるべきであるのに、原判決は事ここに出でず、事件の実体に入り裁判をしたものであると主張する。

しかしながら、本件起訴が所論のように軽犯罪法第四条に違背し、特定の思想を弾圧するために行なわれたものとは認められないことは、既に前記三の(三)において説示したとおりである。もつとも、記録によれば、原審立会検察官が弁護人の求めによる釈明に対し、「本件ビラの記載からみると、一部国民の政治スローガンと解される。起訴、不起訴を決定するについて、ビラの記載内容は一応考慮に入れたものである」旨釈明していることが認められるし、又仮に所論のように原審において東京地方検察庁の公安係検察官が終始公判審理に立会つたとしても、簡易裁判所事件の審理に際し、地方検察庁の公安係検察官が立会つたからといつて、いわゆる検察官同一体の原則に徴するも、いささかの違法もないことは明らかであり、又現行制度上、事件の起訴、不起訴の判断は検察官の専権に委ねられているものであるところ、立会検察官の前記釈明は、本件を起訴相当と判断するに至つた経過を説明したにとどまり、その釈明内容には、所論のような公訴権の濫用ないし軽犯罪法適用上の濫用をうかがわせる事跡は毛頭存在しないことが極めて明白である。論旨は、本件起訴が公訴権濫用であることの理由の一つとして、被告人らに対する逮捕、勾留が違法であり、又被告人らがその期間を通じて弁護人との接見等を妨げられ、留置場内において不当に差別されたと主張する。しかしながら、前記川島警察官の原審証言及び記録編綴の各勾留状によれば、被告人らは本件ビラ貼り行為を同警察官らに現認された際、住居、氏名を明らかにしなかつたため刑事訴訟法号二一七条により現行犯逮捕されたこと及びその後裁判官の勾留質問の際に至るまで依然として住居氏名を明かさなかつたため、同法第二〇七条、第六〇条第三項により引続き勾留されたことが容易に看取されるのであるから、被告人らが逮捕、勾留されたからといつて必ずしも違法であるとはいえないし、又その期間を通じ所論指摘のような弁護人との接見を妨げられたなどという捜査官の違法をうかがわせるに足る証拠は記録上これを見出しがたい。被告人両名はいずれも、原審、当審各公判廷を通じ、留置中不当に差別された旨論旨にそうような供述をしているけれども、たやすく信用しがたい。そして、以上のような逮捕、勾留手続のなされた経緯にかんがみ、又右川島警察官の前掲証言部分によつてうかがわれるとおり、警察当局としては、電話柱ないし電柱に対するビラ貼り行為は事犯の性質上或は人員の関係上、現行犯のみを検挙する方針であることにかんがみれば、所論のように電話柱ないし電柱に対する種々雑多のビラ貼り行為が警察当局の取締を受けていない事実があるとしても、たまたま犯行を現認された本件が取上げられ、起訴されるに至つたことは理由のないことではなく、そのことから直ちに、所論のように軽犯罪法を他の目的のために濫用するものであるとするのは速断のそしりを免れないといわなければならない。その他、記録を調査しても、本件公訴が所論のように刑事訴訟法第一条、第三三八条により棄却さるべきものであるとはとうてい認められない。従つて、原審が事件の実体に入り、審理、判決をしたのは当然であつて、何ら非議すべきものはない。論旨は採用の限りでない。

五、被告人両名の各控訴趣意中の論旨について。

各所論の要旨は、本件ビラ貼り行為は、労働者にとつてやむにやまれぬ表現・主張の手段であり、その手段の行使は、最低の生活権、基本的人権を守るための神聖な権利であるのみならず、ビラの内容は正当な要求であるから、これを検挙、起訴、処罰することは不当な弾圧であり、又勾留中、不当な人権侵害を受けた旨主張し、無罪の判決を求めるというにあるのであつて、結局において原判決の事実誤認及び法令の解釈、適用の誤並びに官憲の態度の不当を論難するにあるものと解されるが、既に従来説示したとおり各論旨はいずれも採用しがたい。

六、被告人両名の上申書中の控訴趣意について。

所論は要するに、原判決は、(イ)本件につき違法性阻却事由があるのにこれを無視している、(ロ)電話柱に対するビラ貼り行為は、長期にわたる慣行で、法的にも根拠を有するのに、その認定を誤つている、(ハ)政治的弾圧の意図を有している、(ニ)軽犯罪法の制定経過を無視し、憲法を蹂躙しているなどと主張し、同判決は結局において、憲法第二一条、労働組合法第一条第二項、刑法第三五条、軽犯罪法第四条の各解釈、適用を誤つていると論難する。しかしながら、右上申書中の各論旨については、既に前記一乃至四掲記の坂本、井上両弁護人の控訴趣意に対する判断中において認定、説示したとおり、すべて理由がない。

七、その他、全記録を精査、検討し、当審における事実取調の結果、坂本、井上両弁護人の外、弁護人宇津泰親、同田中敏夫及び被告人らの各弁論要旨並びに被告人上野作成名義の「激化しているビラはり弾圧は許せない」と題する書面及び同岡松作成名義の昭和四四年四月一五日受付の陳述書の各記載にかかる論旨を参酌、考量しても、原判決には、事実誤認ないし法令の解釈、適用の誤、その他、所論指摘のような違法を疑せるものは存在しない。

八、以上のとおり各論旨はすべて理由がない。

九、よつて本件各控訴はいずれも理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却することとし、なお当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八二条、第一八一条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。(栗本一夫 石田一郎 金隆史)

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